版元社主のええカゲンな本の紹介 その三

2023年7月13日 木曜日

牧英正著『差別戒名の系譜――偽書「貞観政要格式目」の研究』を読む

 お盆も近づいて(8月盂蘭盆会の関西)そろそろ過去帳を出して、父親の法名は何だったかと見ていると、お父さんはまだホームで健在よと妻の声。

 コロナ禍のせいにしてはいけないが、本当に人々の関係を断ってしまった、この数年です。

 それで、今回はその法名・戒名というわけのわからない仏教的習俗を社会的差別秩序に貶めた「差別戒名」についてのご著書です。

まず、戒名の構造からの解説が丁寧にあります。これは葬儀の際に法名を授与する僧侶でもここまで説明はできません。

「1章いわゆる差別戒名 1 戒名」において、「広い意味では、狭義の戒名に道号がつき、院号と位号を加えたものを戒名とよんでいる」とされ、以下「典型例」として「○○院(院号) ☐☐(道号) △△(戒名) ××(位号)」というよく知られている事例をあげておられます。そして「浄土真宗の事例」として「○○院(院号) 釋(釋尼)△△(法名)」を挙げられ、戒名ではなく、法名とされているのはさすがである。これはお盆のときにお参りにこられたお坊様にお聞きください。

 ちなみに、「僧侶の道号(字)+戒名の事例」として「一休(道号)宗純(戒名)、夢窓疎石、雪舟等楊」を挙げ、つづいて、「位号」として「居士(男性)/大姉(女性)/信士(男性)/信女(女性)/禅定門(男性)/禅定尼(女性)」とあげられる。それらの違いについては、「それぞれ生前の位階、性別、信仰の深浅などが反映する」とされています。

 「2 上下の置字」の説明をされ、それぞれに「仏果証得の深浅によって書き分けられる」という説明をされています。ここまで一般的な戒名(法名)のつけ方の解説です。

そして本題、「『無縁慈悲集』(浄土宗)における「位牌」の書き分け」について「天皇>三台槐門(日本において、太政大臣、左大臣、右大臣)←令制官職>諸宗派出家の位牌、山伏の位牌、神祇家の位牌、尋常(平民)の位牌>三家者位牌」を引かれている。たしかに、それら戒名マニュアルでは、「位牌上之置字目安ノ事」として、故人の地位に応じた用例を示しているのである。「示寂・妙寂・圓寂は、上々の尊宿に用い」「帰心・登真は、上々の僧に用いる」さらに「逝光・帰寂は中の上に用いる」そしてずっと下がって「連寂」は「畜生男女・皮剝」に用いる「上の置字」とされ、続いて「四二種類の下の置字をあげているものの、ここにはとくに差別的な下の置字はみられない」とされるのです。差別戒名が一般的な「差別的戒名」ではなく、被差別民(穢多身分)につけられたものが、重要です。

そこで牧先生は、「3 被差別部落の戒名」として「柴田道子『被差別部落の伝承と生活――信州の部落・古老聞き書き』による指摘」をあげて「朴男・朴女・革男・革女・僮奴・僮僕」を引かれます。そして「戒名の階級」として柴田氏の「禅定門―信士(清信士)―居士(大居士)―庵号―軒号―院号―殿号」についての言及「個人におくる戒名に階級をつけること自身、おかしなことだが、戒名は個人やその家の社会的身分・役職・経済力・菩提寺への奉仕の度合によってきめられているようだ」とのことです。ただし、解放運動の偏りか、長野では、北信地方での調査が中心で南信の調査報告の欠如があることを指摘されている。また、差別戒名の一覧を作られ、「差別戒名の定型からバリエーション」(23頁以下)を示されている。これはこれで圧巻です。

 そして戒名のマニュアルの一つである「禅門小僧訓」(無住道人による聞き書きで、穢多身分への差別戒名の根拠として「餌取 穢多之事に『貞観政要格式目』「因て仏経祖規になきことにても、国法なれば彼れによるべし」と、『貞観政要格式目』をあげてそこでは、国法ということを、まったく無批判に受け入れているのです。ただし、『貞観政要格式目』には国法であるという明確な記述はありません。

 そもそも『貞観政要格式目』とはどういう書物なのでしょうか。牧先生の筆と探求心がさえわたります。「小笠原君ね、そういう脚色しても学問は地味なものなのよ」と院生時代のお教えが身に染みわたります。

「2章 偽書『貞観政要格式目』」において、本書が「偽書」であることを証明するのです。喜田貞吉博士の批判をひかれ、本書の評価はそれに尽きると述べられます。「しかし、そのおどろおどろしい名前に、後世の僧侶たちの多くが国法ならば従わなければならない、と考えた。そうなると、たんに偽書だといって無視するわけにはいかない」と牧先生はのべて、「三家者ノ位牌」の記述→被差別部落の起源にかんする俗説の形成に影響をおよぼしている。『勝扇子』『享保世話』などの引用例をあげられる。そして「同書が後世の戒名の様式におよぼした影響は決定的ともいえる」(41頁)

 牧先生の方法論は、偽書である『貞観政要格式目』の写本や板本の比較におよびます。そして、オーソドックスに異同を比較することで原本の復元を試みられますがかなり困難であることに気づかれるのです。(46頁)

諸本の違いがあまりに大きいからなのです。48~49頁の比較の一覧表でもわかるように、単なる誤記ではなく、意図的に編纂されたものだとも指摘されています。(52頁)

差別戒名についての厳しい指摘もさることながら、本書をよく読めば、差別戒名と特別に作られているわけではなく、すでに仏教界において社会的格差を表す戒名が体系的に既に用意されており、それに「三家之者」(被差別身分)が付け加わっただけであり、「偽書」が「利用」されたと言えなくもない結論をほのめかされている。

 本書は偽書であることは間違いないのですが、それではなぜここまで支持されたのかです。写本がたくさん作られただけでなく、編纂、改変まで行われているのです。それもそれらの宗旨に都合よくです。

 日本仏教は古代から論争のテーマに事欠かず、仏典に対するテキスト・クリティークは仏教伝来時から厳しく行われています。有名な、徳一の最澄や空海への攻撃はまさに原典批判を基とするもので、曖昧な批判は行われていません。

聖徳太子の法華経理解も六朝の教養の粋とされています。そのような議論が行われているところでなぜ、安易に国法であることが承認され、そのことが無批判に受け入れられたのでしょうか。それは、その僧侶の教養云々ということではなく、身分差別あるいは身分秩序に関わることについて、社会的に言及を許されないということではないのでしょうか。つまり、「三家之者」がなぜ存在するのか、どうしてそのような職能が分類されるのかということについてはまったく議論の余地がない、秩序をそのまま受け入れ、戒名授与という形式で、世俗秩序をそのまま仏教的に受容しているのでは。

 つまり『貞観政要格式目』という「偽書」(奇書)が日本独特の身分秩序を仏教的に受容するために必要不可欠となったということではないのか。つまりは、仕方なくではなく、好都合な書が現れたということであろう。でっち上げたのかどうかは不明であり、その証拠はありません。しかし、牧先生の実証によれば、1400年代初頭に本書が現れ、そしてその後しばらく話題に上がることなく、江戸時代以降盛んに写本などが作られる。つまり、必要になったのである。

牧先生はむすびの117頁以下に重要な指摘をされています。『貞観政要格式目』の登場と利用が、寺院や教団が幕府の支配下にあることが公になったと時期と暗合するのです。差別の制度化について、幕府と教団は相前後しながら身分差別の制度化をしていくことなります。

 そういえば、牧先生とのお別れは暑いこの頃でした。来年で7回忌になります。南無

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