版元社主のええカゲンな本の紹介 その一

2023年5月12日 金曜日

以前からうちの会社を一人で切り回してくれているMさんから「シャチョー、会社のHP見に来る人に少しでも読みたくなるような紹介文を書いてくださいよ」とおしりをたたかれまくっているOです。よろしくお願いします。それでとうとうこのような紹介文を掲載することを決心しました。著者の皆様には、紹介順序に他意はございませんので、これからもよろしくお願い申し上げます。

 それで第1回はなんと東大寺長老の森本公誠先生です。

 実のところ、東大寺のKさんからご紹介を受けたときに東大寺とイスラム文化との関係なのかという先入観をもっておりました。だって、知人のN先生でさえ、「森本先生がそういうご本を」と仰ってましたからね。たしか大阪の焼き肉屋の謎会議で。

 それはいいのですが、東大寺寺務所でお話をうかがい原稿をいただくと、戦後のマルクス主義史観を築き上げた石母田先生が吹っ飛びました。

 私は大学院の頃に泣きながらヴェーバーを読んでいたのですが、そのおかげでたいへん読みやすうございました(故恩師に感謝申し上げます)。とくに、ヴェーバーのプロ倫のヒントになったというイェリネックの助言、人間の歴史(文化の転換)において宗教・信仰に由来しないものはない(キッパリ)ということを彷彿とさせるものだったからです。というより日本に入ってきた仏教が300年を経ずしてこれほどの思想的原動力になっていたのかという衝撃だったのです。法然の出現を「中世の衝撃」とされた阿満先生の思想的前提はここにあり、大乗仏教は変質などせず、その本質をさらに発展させたんや。と思った次第です。

 寺奴とは大寺院での職能集団のコミュニティを意味するということなのです。これらの人々の存在が寺領荘園にも影響を与えていくと考えていくべきだ、と後半は私の妄想です。

 律令制下における身分の一つである「奴婢」は奴隷ではなく、ましてや現在の被差別部落につながるものでは決してないとされています。

 それではいったいなんだったのか。もちろん、聖武天皇でもわからなかったと思います。いわゆる奴隷の類とは認識されていなかったようです。あくまでも貴重な労働力であり、そのために暮らしが保証されているのです。ただ、逃げ帰った事例もありますが、ほとんどが定着し、子どもの奴婢やそこで生まれた奴婢はちゃんと職能集団の一員として教育され、働いているのです。文字まで教えられています。19世紀のイギリスでは使い捨て労働力だったのに。

 基本的に奴隷は分断され主人への集団抵抗を阻止されるものですが、東大寺では寺の中の奴婢コミュニティが奨励され、もちろん逃亡予防だとも言われますが、過酷な労働ばかりで人は定着しません。「遊びをせんとやうまれけむ」なのです。人の労働が精神的にも追及されるようになったのは携帯時計の普及だと私は考えています。つまりかなり近代的支配の結果だと。セイコー・シチズンが労働者の連帯の敵だとは申しておりませんので。

 古代・中世では労働はまだまだ遊びです。プロ倫でもそのようなことが書かれていますね。つまり、大仏造立のために集められた奴婢がじつは職能集団に成長していき、寺領荘園における経営とも深くかかわっていったのではないかということです。

東大寺奴婢集団のサバイバル――慈悲につつまれて

森本公誠著(東大寺長老)

定価:本体価格2,500円+税

2021年10月31日発行

奈良時代の東大寺附属奴婢を東大寺文書の詳細な再検討によってこれまでの古代奴隷制経済理論のくびきから解放し、寺院支配下における新たな古代共同体形成過程の類型を示す意欲作。

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