【書評】奈良行博著『現代中国の道教――庶民に生きる信心文化』
2014年4月24日 木曜日
『現代中国の道教――庶民に生きる信心文化』
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著者にとって、本を世に出す喜び、それは、読者からの反応を知るということです。その評価がよければ、文字通り望外の喜びといえると思います。もちろん、版元にとっても喜びである事は言うまでもないことです。この書評は、著者の作品の長年の読者であるお一人からいただいたご感想です。この書評から、本を手に取る方がおられれば、版元としても望外の喜びです。
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(書評者)猪飼祥夫
現代中国の道教を知ろうとするとそれなりに情報があるのだが、さて道教とは何かと問われるとそれに答えることは、宗教研究者でも難しい。奈良先生は、僕が昔から非常に尊敬している先生なのだが、今回の著書でますます好きになった。先生の学問態度は、古典的な漢学の範疇に収まらない広大な興味に裏付けられた文化研究である。
昔、中国の習俗や文化について一見識を持っている人たちを「支那通」と呼んでいた。後藤朝太郎や井上紅梅などである。彼らの中国に対する興味は、非常に広くて中国のことを聞けばなんでもわかるタイプの教養をもっていた。彼らは中国大陸を放浪して、興味のあることはすべて記録するというような態度で著作を残している。彼らの著作と青木正児の『華国風味』を比べて見た時に、青木先生はやはり中国とはなにかを理解していなかったのではないかと学生時代に思ったものだった。現代も多くの中国研究者が中国を研究しているが、旧来の漢学研究者には、本当の中国がわかっているのだろうかと思うことがある。朱子学や陽明学、道教文献学や古代思想史など、それぞれに素晴らしい学問をされているのだが、これらの文献研究者が現代の中国文化を理解しているかというと、必ずしもそうではない気がする。
奈良先生は現代の「支那通」である。先生は中国に留学して、80年代の終りにこの大陸の道教と名のつく宮観をすべてと言っても過言ではないほど訪ね歩かれた。その記録は今日になってみると非常に貴重なものであり、その時の写真は今日の変化と比べるときに学術的価値を持つものだと思う。そしてその写真をもとにして、この書物を著された。その後何度も中国へ調査に出かけられて、道観や信仰の変化を文化史の立場でまとめられているのである。先の『中国の吉祥文化と道教』(明石書店、2011)でもそうだが、先生が集められた資料が惜しみなく公開されている。他者の作った写真ではないので、どの写真も撮影された年月日が明らかであり、その解説も引用も根拠のあるものである。そして一般大衆の信心を一つの文化現象として研究された本である。先生の指摘のように中国の宗教には三教融合というかごちゃ混ぜの感じが強くて、道教宮観を特徴から特定することさえ難しい。
「信仰の対象にならない太極」章は、カウンターパンチを食らったような内容である。「太極」「道」「無」が中国の庶民たちの間で信仰の対象となっていない、無関心、知らないという指摘に道教研究者はどう答えるのだろうか。道教といえば太極、道、無というのが通り相場で、これは庶民の信仰には関係ないということが書かれている。また「道教の豆知識」という章があり、他書にない基本知識を教えてくださる。道教の拝み方、道士は何を食べているのか、道士は結婚しないのか、老人になったら、病気になったら、死んだらどうするのか、お墓はあるのかなど写真入りで解説される。そのすべての写真が自ら撮影されたものである。
どこを読んでも先生の自ら歩かれた所がテーマとなって解説されているので、情報が非常に正確なものとして信じられる。これこそ「現代の支那通」という僕が呼びたい事情である。それぞれの五岳などの道教聖地の解説には、山、所在、岩質、環境、産物、事跡、洞穴、水辺などと項目を立てて説明している。信仰の地方的な特徴も解説され、祠廟の地方色まで分類されている。祠廟はその建築配置に道教的特徴があると書かれている。中国でお寺とか廟とかいっても、その建物の意味するものがわからないと理解が半分になってしまうことは多くの識者の指摘する点であるが、ここを読めばうんうんそうだったのかと分かる。北京の道教を解説しているので、復活しつつある首都の信心を知ることができる。
「おわりに」は先生の中国道教に対する熱い思いが伝わる章である。この本が何年にもわたる現地調査の結果生まれたことを知って、その価値を再認識した。れっきとした現実の一部としての写真を記載されている。そこには誰にも真似できない調査の力を見る思いがする。その調査の苦労から現代の私達の日本の文明にまで評論がおよんで、骨太でない日本の文明を食べ物でやんわり批判されている。学問の世界も同じでスマートな見かけの良い学問だけに評価があつまって、先生のような地道な野外調査の中でまとめられた研究が埋もれてしまうのは、まったくもって納得行かない。この本は小さな本屋から大学の学術助成うけて出版された。そのためにすぐに埋もれてしまうかもしれないが、中国の宗教に興味をもつ人にはぜひ読んでほしい本である。(20140416記)